貧乏ランナー何を目指すか?

アラフィフ貧乏親父ランナーのブログ

我が家にチワワがやって来た

三年前に愛犬のシロ(スピッツ)を病で亡くしてから、ついに我が家に新しい家族が増えました。
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名前はラテ(ロングコートチワワ

本日はラテに会いに山梨の甲府まで行ってきました。
ブリーダーさんに11時頃に見学の予約を入れていたのですが、道路の状況が読めないので、とりあえず7時位に出発して時間が早かったら、適当に時間を潰してから行こうと決めて出かけました。

5時過ぎに起きて、30分程度ランニングしてからご飯を食べて出発!(トータル5kほど、途中の1kと最後の600mだけ刺激を入れるために頑張って走りそれ以外は適当に。最後の600mではラスト100m位で脚が売り切れてました。でも、全然距離走れてないな。来週のハーフが怖い。。。)

折角なので、ぶどう狩りとかやろうかと思ったり、桔梗屋の信玄もちの詰め放題も考えたのですが、ぶどうは、途中の売店で買えばよいので止めて、信玄もちは、年々整理券の配布時間が早くなってきて、特に今日みたいな日は、かなり早い時間になりそうな気がしたので、アウトレット品でも買えればよいという気持ちで甲府に向けて行きました。
高速道路は使わず下道で行きましたが、だいたい想定通りの道路状況で、9時位には一宮御坂辺りに到着。とりあえず、桔梗屋に向かってみましたが、詰め放題の整理券は6:10分で終了だったようで、アウトレットの信玄もちも既に売り切れ。
お店のおばちゃんが追加で出してきた信玄抹茶プリン(?)も瞬殺で無くなり、唖然としてしまいました。
仕方ないので、時間潰しに工場見学だけして、その後はぶどうを買うために適当なお店を探し、ぶどうとその他を買ってからブリーダーさんの下へ。

ラテ君に対面すると、ネットの写真よりも可愛く、息子は瞬殺。ラテ君の兄弟も見せてもらいましたが、結局当初の予定通りラテ君に決めて、当日連れて帰れるということで、近くのホームセンターで必要な物を揃えてからラテ君を連れて帰ってきました。

帰りは相模湖駅前を起点とした渋滞に巻き込まれましたが、想定の範囲内で無事に帰宅出来ました。
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ラテ君はお疲れの様子でこんな感じで寝てしまいました。
早く我が家の環境に慣れて欲しいな。

1500mの結果と近況

日曜日に出走した陸上競技大会の1500mの結果がアップされたので、近況も併せて報告。

[1500mの結果]4:46.52
レースは、人数が少ないので高校生と一緒に走ることになった。一般7名、高校生2名の合計9名でスタート。
右足の不安もあり、とりあえず前に行く人たちに付いて行こうと決める。
最初の300mは、前に5人くらいいたのでその後ろに付いて行ったが、ゴール付近にある時計を見ると50を余裕で切りそうなペースだったので、さすがに速すぎると思い、ゴールライン手前で急減速。
前の集団から20m位離れた位置で落としたペースで進む。トラックではガーミンのペースは当てにならないので、一周毎にラップタイムを確認しながら進むつもりだったのだが、ラップを取らず、なんとなくの感覚で進んでしまった。結局、中間に楽をしたせいで、最後追い込むも目標の40秒切りとはいかなかった。(最後の直線で垂れてきた高校生一名を交わすも、もう一人の高校生は4:16だったようで脱帽!)次に走るときは最初を少しだけ抑えて、中間はもう少し追い込まねばならないと思った。
1500mの目標達成は来年に持ち越しとなりそうだ。

さて、今週からフルマラソンに向けた計画を立てて、実行していかねばならないのだが、右足の痛みのせいで思うように走れず、予定の練習ができてない。
来週から何とか立て直せればよいのだが。
明日の5000mの記録会をどうするべきか悩む。

今後のざっくりの計画としては

(月)オフ
(火)ジョグと動きを重視した流し
..( 100~200x5~10)
(水)ジョグ
(木)6k Tペースラン
(金)ジョグ
(土)ロング走(場合によってインターバル)
(日)ロングジョグまたは余裕があればインターミッテント

さて、つくばはどうなることやら。

今更ですが、セカンドウインドとランナーズハイについて

今更ですが、セカンドウインドやランナーズハイという言葉をよく見かけますが、イマイチ実感したことがないので、もう一度どのようなものかググってみた。

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「セカンドウインド」
人は運動を始めた直後には、すぐには適応できません。

走り始めてしばらくは体はまだ運動負荷に対して適応していないので、酸素を十分摂り入れられない状態(これをデットポイントと言います)が続きます。

走りはじめてしばらくすると苦しくなるのはこのためです。

その後、身体も温まり適応してくると必要な酸素量に摂取できる酸素量が追いつき、バランスがとれてフッと「体が楽になる」状態になります。
この状態を『セカンドウィンド』といいます。

ランナーズハイ」
ランナーが極限まで追い込んで走ったときに脳内麻薬の一種であるモルヒネのようなβエンドルフィンが分泌され、肉体的にも精神的にも苦痛を感じ無くなり、逆に快感と感じる状態をいいます。

いつまでも走れてしまう感覚になるといいます。

これはジョギング程度の運動で感じられるものではなく、アスリートランナーでもほんの一部の人しか経験のないものです。

医学的に明確には解明されていない様です。

言い換えると「科学的な根拠はあるけれども仮説程度のもの」ということです。

βエンドルフィンは覚醒作用や鎮痛系に関わり、また多幸感をもたらすために脳内麻薬と呼ばれています。

私たちの身体自身が苦痛を和らげるために自ら身体を麻痺させようとし、脳をはじめ他の臓器で麻薬の一種をたくさん作り始めるというメカニズムです。

他の研究では、歩く・走るなどの活動時に体内のレプチンが減少することが原因としたものがあります。

ランニングなどの活動で体内のレプチンが減少すると、脳の快楽中枢に飢饉信号が送られます。

快楽中枢が刺激されることによってランナーズハイに至るとの内容です。

これは人間が飢饉状態の体でも長時間食物を探せるための作用とみられています。

いずれにしてもランナーズハイについての意見や体験談を調べると比較的に多いのが「一般ランナーには到達できない」とするものです。

つまり「存在はしているが体験するのは不可能」とする見方です。

βエンドルフィンが分泌される状態には心臓麻痺を起こしたり足を故障したりしかねないレベルまで追い込まなければ到達しないというのが理由です。

一流のアスリートでも体験舌人はなかなかいないのに、一般の市民ランナーが体験できるわけがないという理屈です。

そういった理由で多くの人が『セカンドウィンド』のことをランナーズハイと勘違いしているという意見が多いです。

(出典)http://btlfc.com/running-5-70

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なるほど、「ランナーズハイ」は市民ランナーには縁が無さそうだ。
どうすれば体験できるのか知っている方がいたら教えて欲しいと思っていたがwww

セカンドウインドは、走ってるときに今日は調子が良いなぁと感じる時がたまにあるけどそれがセカンドウインドなのかな。

でも、自分としてはラストスパートで頑張ったりしたときの苦しい状態から、走り終わった時の解放感の方が快感に感じます。

とりあえず、今年出走するハーフやフルのレースでセカンドウインドを少し意識してみようかな。

横浜月例に参加

昨日は横浜月例に5月以来に参加してきました。
petaさん、ちみさん、おいやんさん、Nさん、えいさん、全力さん、toshiさん、birdさん、そして、ヨガのkana先生の総勢10人が集まりました。

当初の予定では、1kと3kを走るつもりだったが、1kはちびっ子が多そうだったので、皆さんと一緒に5kに参加。目標も中途半端な感じで走ってしまったのもあるが、途中から体が重くて動かなかった。
とりあえず、ラストだけ頑張ろうとしたけど、200m位で売り切れ。後から考えると何気に土曜日に行ったインターミッテントが効いていたのかもしれない。やはり、よる年波には勝てないのか。。。
そんなわけで、3kはタイムは狙わず、最後の1kだけ全力で走ることにして、2kまでは全力さんとkana先生とで仲良くキロ5:30位でラン。
ラスト1k全力で頑張って走ったが、前半飛ばしすぎ、後半ヘロヘロになってしまった。。。
その後、10k組のゴールを待って、近くの中華料理屋さんで、お昼ご飯とビールを堪能し楽しく過ごしましたとさ。
その後、自宅に帰ったら、疲れからか居眠りばかりしていた。

結局、今日の午前中くらいまで、疲れが抜けなかった。(もしかして、肝臓?やはり、再検査を早めに受けるべきか!)

小・中学生時代のこと(自分語りその2)

【中学生時代】
中学では野球部に入らないと決めた自分だったが、何故か親からはサッカー部に入ることも禁止され、運動部の選択肢が少ない中、背が伸びるのではないかという期待を込めて、バレーボール部に入部する。(バスケットボール部にも仮入部したのだが、雰囲気がいまいちよくなかったので辞めた)

自分の中学校のバレーボール部は部員も少なく、(三年生が居なかった!)同じ学校の女子バレー部にも練習試合で負けるくらいの弱小部で、先輩が先輩の同級生に「運動できないカスの集まり」と言われているのを目の当たりにしたこともあったぐらいだ。
(キャプテンだけはそれなりに評価されていたがそれ以外の先輩はいじられたり嫌がらせを受けていたりしたようだ)

しかし、自分の学年は何故か短距離で学年1、2位を争うような運動能力の高い者もいて、人数も揃っていたので、自分の代は女子バレー部には負けなかったと思う(何故思うと断定してないかというと、一時期悪魔の誘いにより部活をサボり気味になったりしていたので、多分自分が不在の時に試合をしていたのではないかと思うからだ)
バレー部では、一年の二学期にからサボり気味になり、とても真面目な部員とは言えなかったのだが、二年生の夏休みに僕を悪魔の道に引き込んだ同級生が夏の練習のお誘いに来て(彼は二年生のになって真面目に部活に出るようになっていた)、仕方なくくそ暑い(陽は当たらないがとても蒸し暑い)体育館での練習に再び出るようになる。
幸か不幸か、その練習に出たことにより、サボってばかりいたはずなのにレギュラーに選ばれ、二学期以降の大会に出ることになる。
その後、冬になるとまた練習をサボるようになり、三年生の時は流石に試合には出られなかった。
(自費で購入した試合用の番号付きユニフォームも、出る人に貸したくらい)まあ、こんな適当な部活生活を送ってました。

さて、話は戻り、中学一年の時に学校の運動会でクラス代表として1500m競争に出たのだが、この時に2位となり、少しだけ長距離走に自信を持った。

しかし、1位はあの小学生の時にアンダースローながら、驚きの球速で投げていたピッチャーであった。1500mでも、ダントツに速く、200mのトラックで半周位差をつけられてしまった。
彼は、中学校の野球部には入らず、リトル?シニアの硬式野球チームに入っていたようだった。因みに短距離も学年でベスト3に入る速さで、どうあがいても彼には勝てないなぁと諦めの境地になるくらいだった。

そして、秋にはマラソン大会(6k)があったのだが、当然ここでも彼はダントツで途中で見えなくなるくらいの速さでだった。この時に自分は2位集団に居たが、当時の大人の事情(まだ子供か?)により、小学生の時に所属していた少年野球チームのエースと、し烈な3位争いを繰り広げることとなり、何とか3位は確保できた。
自分としては何とも複雑な結果ではあったが、これでも日頃運動面で馬鹿にされてる部活の先輩が自分のことのように喜んでくれていたのを思い出す。

それ以降、中学校では長距離走系の二番手で、彼が居ないレースでは勝てるがそうでなければ影を踏むことができない感じだった。(レースと言っても運動会の1500mと秋のマラソン大会だけだが)

それでも、長距離では一目置かれるようになっていたので、同級生に普段どんな練習しているのか聞かれルことがあったのだが、せいぜい運動会やマラソン大会の1ヶ月前くらいから週に2~3日、3k程度走る位だったのにも関わらず、毎日走ってるように見せないといけないのかと勝手に空気を読んで、さも練習しているようにでっち上げの練習内容を説明したものであった。

因みにダントツの彼は朝晩走ってるという話を聞いていたので、素質があって更に練習を積まれたらとても勝てないなぁと思っていた。(何故、何とか少しでも追い付けるように頑張ろうと思わなかったのか、今となっては疑問に思うが、圧倒的な差に対する諦めの良さがそうさせたのかも知れない)

余談ではあるが、私の弟も長距離は速かったのだが、弟の部活(サッカー部)の顧問で社会の先生に兄弟共に疎まれて(?)いて、うちの兄弟は貧乏だから長距離が速いとかいったようなことを先生から弟が言われたそうである。(貧乏なんて、失礼な先生だ!)

この後、ランニングは運動不足と感じると思い出したように走るが、特に速く走るようになりたいとか、大会に出ようとかは考えることなく(学生の時に、フルマラソンを走ってみたくてその時だけは大会に出たが)、健康維持の目的で走っていたのである。(ランニングシューズはクッション性を重視して、エアmax等の厚底シューズを履いていた)

ランニングシューズと言えば、中学生の時は、学校に陸上部のがなかったため、マラソン大会の上位何名かで寄せ集めのチームを結成して区の駅伝大会に出たりすることがあり、少しでも軽いシューズということで、アシックスのスカイセンサーを履いていた。(確か一万オーバーだったので小遣い叩いて買った)
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ネットで探したら、画像が見つかった。懐かしい。

小・中学生時代のこと(自分語りその1)

今日は実家に帰省(練馬なのでそんな大袈裟なものでもないが)しているのだが、親父の写真を見て子供の頃を思い出したのだで自分語りをしてみる。

【小学生の時】
小学生の時は、取り立てて足が速いわけでもなかったが、野球が好きで、よく学校の休み時間や帰宅後に仲間とカラーボールとプラバットで野球ごっこ(?)をやっていた。大して上手いわけでもなかったのだが、野球選手に憧れて何をとち狂ったか四年生の時に地元の少年軟式野球チームに入った。(これは後で後悔することとなるが)

同級生は20~30人位いた。現実は厳しく四年生の段階で、自分の才能のなさを痛感させられ、とても試合になんか出られそうもないことを悟った。

同級生は、ポツポツと辞めていき、卒業まで残ったのは10人くらいだった。自分も辞めたかったのだが、亡き父に「自分から入っておきながら途中で辞めるとは何事か!」と怒られ、モチベーションの上がらない状態で卒業まで続けることになったのである。
(この頃、毎週日曜日が苦痛で、土曜日の夜に「俺たちひょうきん族」を見終わってエンディングテーマが流れると気持ちがどんよりとしたことをたまに思い出す)

また、六年生の頃、ガンダムのプラモデルが流行って、日曜日とかに早い者勝ち販売がデパートや近所のおもちゃやで行われていたが、当然のごとく、野球の練習があって並ぶことができないので自分の浅はかな行動(野球チームに入ったこと)を恨めしく思ったものである。(この時、中学では絶対に野球部には入らないと誓ったのである。野球が嫌いというわけではなく、全国大会に行くような中学では自分には無理ゲーと思ったからである。)

そんなある日ののこと、自分と同じ補欠にもなれないチームメイトと他チームとの試合会場で自分のチームを応援していると、対戦相手のピッチャーの球速がアンダースローにも関わらす、うちのチームのエースの球速よりも遥かに速く、衝撃を受けたことがあった。(その投手は後に、中学校で同級生となる)
まあ、こんな自分でしたが、六年生の最後の大会で、最後まで残っていた補欠未満の同級生(自分も含む)は、一打席と守備を1イニングだけだが試合に出してもらった。(打席は三振、守備は内野フライをアウトにする機会があった)

こうして小学校での一番の苦痛から解放されたのであった。(この時、野球は遊びでやるか、観戦するだけにしようと決意したのであった)

中学へ続く

7月の振り返りと8月の予定

7月は前半練習を緩めてしまい、そのため気持ちも弛んでしまったようで、月間走行距離は140kmでした。
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それでも、リレーマラソン等の楽しいイベントがあったので、比較的充実して過ごせました。
(ポイント練習はイマイチでしたが)

8月は9月の1500mに向けて、短い距離のスピード練習を増やそうと思ってます。
(日)インターミッテント
(月)疲労抜きジョグまたは休み
(火)200x10/100x10/400x5など
(水)5kjog+100流し5~10
(木)ペース走( 20分)
(金)5kjog+200x5(または600m全力)
(土)1000x3/800x4/600x5など(レペ)

状況によって変えていきますがこんな感じで。

因みに本日は金曜日のメニューを実施。
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ジョグの時は涼しく感じ、汗もそれほどかきませんでしたが、後半の200x5で一気に汗だく。。。
次はもう少し上げていきたいですね。